「MUGEN MUSOU」 について
【コンセプトは「ZUTTO」】
MUGENMUSOUのコンセプトは、「ずっと使っていたい」「ずっと持っていたい」「ずっと大切にしたい」「他よりずっと良いけん玉」です。
【けん玉との出会い】
2000年ごろに広島県で製造していた最後の1社が後継者不足で廃業し、廿日市市発祥のけん玉を製造する会社が無くなってしまいました。そのため市は発祥の地の火を消さないためにも、「木材利用センター」を作りけん玉を製造しましたが、「NPO法人日本けん玉協会」の「認定」を取得する事が出来ずにいました。
そこで、現社長の岩田が大学3年生の秋、廿日市市から轆轤加工を得意としていたイワタ木工に「けん玉」の試作を依頼がありました。
岩田はその冬から試作を開始しましたが、デジタルの時代が先行しており、けん玉は「昔遊び」として伝えられ、流行の兆しはありませんでした。
そんな中、廿日市市でけん玉大会が開催され、子供たちが目を輝かせてけん玉の技を繰り広げていました。岩田は子供たちが、勝って喜び、負けて涙する姿を見て、けん玉の凄さとけん玉が子供の成長に役立つという事を知り、かつての「保育士」の夢と繋がった気がしました。
大学4年からは、大学の講義も少なく週1回の登校で国体も出場を辞め、けん玉の製造とけん玉の練習に時間を割きました。大学卒業と同時に日本けん玉協会の仮認定を頂き、自社で販売を行う事が可能となりました。また、「けん玉総管理責任者」として会社内で製造と営業を行い始めました。
当時流通していた精度の低いけん玉と一線を画したプレイヤーの使い勝手を追求し、±0.2mm の精度と表面研磨の細かさ、鏡面塗装の美しさを重視した新しいコンセプトのけん玉「夢元(むげん)」を製作しました。
しかし、保育園や幼稚園、児童館や老人ホームに電話営業を行いましたが、けん玉はそんなに売れませんでした。何故なら、みんな既にけん玉を持っていたからです。また、精度の高さを電話営業で理解して頂くことも困難でした。
どうにか売れる物にするため、岩田は「パフォーマンス」の練習と基礎の練習を行い、自分なりに分かりやすく丁寧に子供たちに教える事を考えていき、無料でけん玉教室とけん玉のメンテナンスを行う事を提案し、地道に営業活動を行っていきました。苦労することも多かったのですが、様々な場所に出向き、根気強く営業活動を行っていきました。
その結果、次第にけん玉が売れ始めました。さらに大手雑貨店での販売も始まり、全国展開を行うことが出来ました。
生産開始当初は、一年5,000個ほどの販売でしたが、3年後には、3万個製造販売できるようになりました。
しかし、岩田の体調不良や色々な理由が重なり、25歳の時にNPO法人日本けん玉協会を脱退する形となりました。
そこから熊野筆の製造を行うようになり、生計を立てていましたが、その間、けん玉を自社オリジナルで製造出来ないかと思い、さまざまな形で特許出願や意匠登録などにも挑戦していました。
【MUGEN MUSOU 製造開始】
2009年「夢元」の製造を中止後、プレミアがつくようになり海外のオークションサイトでは50倍以上の高値で売買され、「伝説のけん玉」と呼ばれるようになりました。
技の向上のための道具として「精度の高い製品」「美しい製品」を求めるプレイヤーが増え、多くの海外・国内のプレイヤーが「伝説のけん玉 夢元」の復活を望みました。
多くの声に押される形で2012年にけん玉の製造を再スタート。単純に以前のけん玉を再度製作するのではなく、先端取替技術などを取り入れた競技性に特化したけん玉や、けん玉の今までにない可能性を提案するといった新しいコンセプトのブランド「夢元無双/ MUGEN MUSOU」として、製作を再開しました。
MUGEN MUSOUは、先端取替技術を取り入れたことで、けん玉の寿命を約3倍に増やす事に成功しました。価格は、7500円と高めになりましたが、世界中(特にアメリカ)では爆発的に売れました。
そして、国内でもけん玉の価値観に変化が見られるようになりました。YouTubeの登場によりけん玉をカッコよくトリックする動画が世界中をめぐったため、日本にもその流れが来たのです。
そのため、7500円のけん玉 約300個は、3分という速さで売切れ、また転売目的でも価値があるとみられたため、転売価格も高騰し3万円台で取引されるようになりました。
そして国内も海外も一気にけん玉熱が高まりました。
【KENDAMA WORLD CUPの開催】
その熱をさらに高めるために仕掛けたのが、「KENDAMA WORLD CUP 」です。世界中の選手を広島県廿日市市に集め、「けん玉発祥地の地」でもある廿日市市を「けん玉の聖地」にする事を考えたのです。
地元の商工会や観光協会を回り、スポンサーを得るため地元の企業にあいさつをして回りました。
そして、ついに2014年に初の世界大会を行うことが出来ました。
その際海外から約50名の選手が集まり国内からも約150名の選手で熱い試合を行い、大会は大成功をおさめました。
現在も、毎年夏に大会を開催しています。
そして、そのチャンピオンには、(株)イワタ木工が作るトロフィーを贈呈しています。
【歴代MUGEN MUSOUコレクション(一部)】
2022年 INFINITY-UZU-
YOUTUBE: INFINITY UZU - YouTube
2021年 INFINITY×SHIGUCHI WAVE
2020年 SHIGUCHI CROSSOVER
YOUTUBE: CROSSOVER(Mugenmusou) - YouTube
詳細情報: SHIGUCHI CROSSOVER | IWATA
2019年 SHIGUCHI TRIANGLE